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第5回 |
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マルチメディアの限界を考える
カードウェーブ:98.2(A1−05) |
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我々日本人の悪い癖で、一度はひどく盛り上がるのだが、その後すっかり忘れてしまうという事態が多々ある。
もう誰も覚えていないだろうが、一頃は「マルチメディア」でひどく盛り上がっていたものである。一体このマルチメディアとは何だったのか、今考えるとちっともわからない。その後インターネットに取って代り、今ではインターネット技術にマルチメディアは包含されているような感がある。
ところで今回はこのマルチメディアを含め、リアルとバーチャルについて考えてみたい。例えばバーチャル空間においてマルチメディア的技術を駆使して3次元の仮想空間を実現するような動きがある。果たしてこれが何かの意味をもつか・・というようなことである。 |
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●リアルとバーチャルの考察
筆者は日本のEC市場の発展についてはひどく悲観的なのであるが、その理由の1つがEC関係者の「哲学のなさ」なのだ。何もこれはニーチェやカントの勉強をしなさいといっているのではなく、リアルとバーチャルについての哲学の話である。
筆者が見るところ、大手企業のEC関係者は次のような単純な進化論を持っているように見受けられる。
1)人間はすべからくバーチャルの方向に進化する
2)バーチャルにおいてはリアルの再現こそ素晴らしいことである
これに対し筆者の見解は次のようなものである。
1)バーチャルは選択肢の1つに過ぎない
2)バーチャルには限りない限界がある
3)バーチャルでリアルの再現を競っても仕方ない
このどちらの立場を取るかによってECのシナリオは天と地ほどにも違うのだ。
この点は多分皆忘れてしまったであろうが、カードと貨幣の話と全く共通である。その昔筆者はプリペイドカードやクレジットカードなるものを専門にしていたのだが、当時の議論はカードはキャッシュを駆逐するとの論調一辺倒であった。マネーサプライに影響するだの、小銭は不要で汎用プリペイドカード1枚で事足りるだのの議論が蔓延したものである。
これがいかにばかげた話であったかは歴史が証明している。石ころや葉っぱを利用した時代から人類の文化そのものでもある貨幣が、カードに駆逐されるわけがない。それはあくまで選択肢の多様化に過ぎず、生き残るためには貨幣との差別化が不可欠であるのだ。
同様にバーチャルは選択肢の1つでしかない。例えばどう楽観的に計算しても2000年時点でのバーチャルショッピングのリアルショッピングに占めるシェアは0.1%程度でしかない。通販に占めるシェアでも1割を切るだろう。となればバーチャルショッピングはリアルショッピングとの明確な差別化、あるいは全く新しい価値を創造しない限り生き残れないのだ。
リアルの世界の優位性が厳然と残る分野もある。例えば教育、外交といった分野がそうだろう。
橋本首相は何故クリントン大統領に会うために1泊2日の強行軍ですっとんで出かけていったのか。首脳は何故集まってサミットでランチを食べるのか、といったことである。
答えは簡単である。リアルの世界の方が圧倒的に情報量が多い。交渉事は情報量が多い方が勝ちであるからだ。ここにバーチャルの絶対的な限界がある。
ショッピングも同じことである。街の空気を吸う、最近の流行を見るといった多様な情報収集の出来るリアルの買い物に比べバーチャルには限界がある。ここでリンゴを触ってみて触発され、あちらでオレンジを買うといった行為も起こりにくい。
●3次元仮想空間の無駄
さて目下の動きの中で最も無駄なものの1つが、この3次元仮想空間である。このコンセプトのモールもあるが、これが何かを意味するのかは実に疑問である。
ここで哲学が関わってくるのだ。バーチャルの世界において3次元の仮想空間、すなわちリアルを模したものを作ることが必要であるかということである。
結論は明らかで答えはNOである。大体出来栄えからしてこの種のものは「出来の悪いゲームソフト」のレベルを越えていない。例えその仮想空間でそぞろ歩きが出来ても、犬が歩いていても、要するに「だから何だ?」ということである。それに概して女性はこの種のものが嫌いである。
日本でのオンラインショッピングの初期の時代に、やはりこの種の思想で作られたショッピングCDロムが登場した。3次元でデパートが現れ、入り口ではお姉さんが頭を下げて挨拶をしてくれる。これを見たモニターの主婦は大笑いをしたものだ。「消費者を馬鹿にするんじゃない!」
これが結論である。モールにおいて3次元仮想空間を設営する意味は、実験的・技術的検証以外にはほとんどないだろう。オンラインショッピングにおいてはサイバースペースでリアルの世界を再現する必要はないからだ。
モールでは次のような動きが起こりつつある。
1)初期の老舗モールの衰退または撤退
2)リアルモールとの手法の接近(テナントをきちんと選別する、プロモーション等の手法を確立する等)
一方消費者側のモールに対するニーズは次のようなものである。
1)店数の多さ、無目的なショップの集合より、コンセプトの明確さを求める
2)百貨店型より専門店型を求める
3)妙なエンターテイメント性の付与を嫌う
4)技術より、中身重視
要するに今の消費者は馬鹿ではないのだ。サイバースペースに求めるところはリアルの再現ではない。バーチャルならではの利便性を求めている。この点技術者の人はリアルの再現が好きであるが、まずは原点に戻るべきだ。
●情報の本質は言葉〔文字)である
さてウェブの特質はマルチメディア的であることである。文字情報以外に音声、画像と多様な情報発信が可能だ。だがここでも哲学が問われる。つまり「情報の本質とは何か」ということだ。
「人間にとって情報の本質は言葉〔文字)である」と考えられるか否かである。この視点に立てば妙なマルチメディア志向が実に無駄であるかがわかる。
例えばインターネットでは電話帳(タウンページ)のホームページがある。これが実に使いにくい。何故ならば紙の電話帳の情報の本質は文字情報であるのに、これを無理やりウェブであるからといって、妙にマルチメディア的にしているからだ。やはり3次元広告スペースなどが登場したり、広告料によっては画像を伴った内部情報が確認できたりする。余談ではあるが、この画像による内部確認は浅草あたりのファッションホテルやソープランド等の利用が多いとのうわさである。
さて何故このインターネットタウンページが使いにくいかというと、次のような理由であろう。
1)電話帳情報の本質は文字であるという原点を忘れており、アイデンティティが失われている
2)従って、検索等文字情報を提供すべき基本的手段のレベルが低い
3)妙なマルチメディア技術願望がある
4)ページデザインの技術等が相対的に時代遅れ
自社で発信すべき情報の本質は何なのか、まずはじっくり検討すべきだ。
●マルチメディア的商品表現の限界
さてカタログ通販では情報は商品説明と画像である。これがウェブ通販であれば、マルチメディア的にしたいと誰もが考えるところだ。これも結論からいうと明らかにあやまりである。
インターネットショップにおける商品表現とは次の点を前提に検討すべきである。
1)必要でない場合には画像すら不要である(書籍、CD、パソコン等品番まで指定するような商品、あらかじめ購入が予定されている商品、購入が定型化されている商品等)
2)基本は説明と静止画情報で十分である
3)人は画像情報で物を買うのではなく、説明文章を読んで買うと割り切るべきである
4)動画、音声等のマルチメディア技術はそれが必要だと判断された場合のみ活用すべきである。
つまり文字だけでも人は物を買う。静止画よりマルチアングル画像、マルチアングルより動画が偉いという仮説は全く成り立たないのだ。
むしろ検討すべきは、いくら画像情報が付与できるからといっても商品の再現性の点で難のあるウェブでは、いかにきちんと商品説明をするかである。
米国のカタログビジネス企業のサイトでは商品説明は実にきちんと行われていることが多い。1画面における割合は説明6,商品写真4位の割合で、情報を読んで購入してもらうメディアであるとの割り切りが見受けられる。
トップページにおけるアイキャッチ的ディスカウント商品を除いては、商品が動いたり、回転したりしているケースは見受けられない。
これに対し日本の実験モールの商品プレゼンテーションは実に貧弱である。画像は立派だが、商品説明が貧弱であったりする。
人が物を買うという状況で、マルチメディア的であることがどれだけ寄与するかという点を十分考慮すべきだ。一部には商品表現の点でフルモーションの動画、再現性の向上といったいわゆるビジュアライゼーション(Visualization)の技術が高まれば、ウェブリテイリングは飛躍的に拡大するとの議論もある。だがむしろ検討すべきはVisualiztionではなく、親切な検索で物を購入してもらう技術の開発であろう。
試聴が出来るCDショップより検索が親切はCD屋の方がはるかに成功しているという事実を認識すべきである。
●サイバースペースにおけるマルチメディア技術の役割
もっとも画像、音声、動画といったマルチメディア情報技術を否定するつもりはない。ただそれは選択肢の1つに留まることが想定され、マルチメディア的であることが進化の方向ではないのだ。
事実バリアフリーのための表現手段としても重要であるし、米国で出現したサイバー保育園では親はカメラ画像で我が子の状況をウェブを通じて確認できる。これなどは実に良い考えである。同様にアメリカに出張する人が、ウェブで見られるブロードウェイの人々の服装を確認し、洋服を揃えるといった使い方もあったのだ
ウェブが始まったころ日本での人気サイトは富士山であったし、朝焼けの富士山、夕暮れの富士山を延々と写したサイトが人気を博していた。「今の情報」「今どうなっているの?」といった内容が画像ならではの再現性で表現できるといった点に強みがあったのだ。
もちろん他にも利用価値は様々にあるだろうが、今のウェブがフルモーションの動画主体になったら恐らく利用者は減るだろう。それならテレビを見ている方が人間にははるかに楽であるからだ。
リアルの場こそ最高のマルチメディア情報の集約であり、バーチャルではいくら技術が高まってもそこには限界があることを認識した方がよいだろう。
●リアルVS.バーチャル
さて今回のテーマであるところのリアル対バーチャルであるが、次のような視点が必要である
1)人は全てのバーチャル化を受け入れる訳ではない
当然のことながら人間系のインターフェースが重要な場面では人はリアルを選択するだろう。
人間の暮らしにはデジタル化しきれない情報が数多く有る。顔色や様子、雰囲気。さらにデジタル処理された情報とは間にプロセッサーを介するだけに結局は完全なインターラクティブ性を持ちえない。そこでの情報は作られたものでしかない。先日のオリンピックの開会式の第9も5大陸のバーチャル合唱より、会場の5万人合唱の方が印象的であったのは誰の目にも明らかであったろう。
バーチャルの限界はまだある。バーチャルの情報である限り、そこには「無駄」が生まれない。無駄を作るにはわざと作り出さねばならないからだ。「無駄な情報」の洪水で暮らしている人間にとって、無駄のない世界への移行はストレスを創出する。
結局人はリアルとバーチャルを使い分ける。何がリアルの世界に留まり、何がバーチャル化するかの洞察が必要だ。ショッピングを全てバーチャルにしてしまったら、人間にはストレスがたまるばかりである。
2)バーチャルにはメリットもある
バーチャル化が明らかに人間の暮らしに貢献する場面も有る。例えばバーチャル化による「選択肢の増大」「仮想体験」「シミュレーション」が有用な場面である。
住宅展示場のモデルハウスは目下はユーザーの不満の温床である。なぜならそこはオプション仕様で構成されたキラキラゴテゴテの夢の世界で自分の生活の現実感とマッチしない。部品の1つ1つまでいまやメーカーのショールームに出かけ情報探索をするいまの消費者にとって、夢の御殿を見せられても何の約にも立たない。展示場のバーチャル化は様々なシミュレーションを可能にする。選択肢の豊富さとオーダメードの必然性を要する世界こそバーチャル化に適した分野である。
銀行利用のようにおよそ生活の中でクリエイティブとは言えない行為もバーチャルの世界に受け入れやすい。
3)バーチャル化は1つの選択肢である
ショッピングの例を見るごとく、バーチャル化は1つの選択肢の増加である。同様にバーチャル化が進むことにより、会議がなくなる、店舗がなくなる、学校がなくなる・・といった事態はまずありえない。バーチャル化は現状のシステムは制度を代替するものではなく、あくまでも選択肢の増加である。もちろんバーチャル化の進展によってなくなるものも出てくるだろ。それは選択肢が増えた結果、時代的な存在価値を失ってしまい消失するという適者生存の法則に従った変化である。
●EC教育体系の必要性
さて今回書いたようなことは実はECを検討する上での基本中の基本である。だが日本では現実にはこうしたことは無視され、技術重視で物事が進んでいる。まずはリアルVS.バーチャル、あるいは人間にとっての情報とは何かの教育あるいは考察が必要である。
特に日本では技術者教育が少しヘンである。優れた技術を持ちながら消費者市場向け展開となると手も足も出ない企業も多い。一方で単純な進化論を信じ、静止画より動画、動画もフルモーションがエライなどと考えている人が多い。情報学、哲学、心理学、デザイン、マーケティング等のカリキュラムからなるEC総合教育が必要であろう。 |
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