デジタルコラム

リアルVS.バーチャル

プリンティングインフォメーション:98.8(D3−01)


●インターネットのワールドワイドウェブが作り上げるような空間をサイバースペースという。こうした仮想の空間と現実(リアル)の空間と一体何が異なるのか、というのが目下の関心事である。
新聞雑誌を読んでいると、21世紀には全ての場面が「サイバー」や「バーチャル」(いずれも仮想という意味だ)になるような話ばかりだ。通貨も電子マネーに形を変え,その辺の商店街はすたれ、人は皆インターネットで買い物をする。会社に行く人は激減し、在宅勤務が定着する。・・・てなことはあり得ないと個人的には思う。
ところが筆者のような意見は少数派である。サイバービジネスを考える時、「人類は皆バーチャルの方向に進化する」あるいは「バーチャルの場面が進展することは人類の進歩である」と考えるか、「バーチャルも選択肢の1つに過ぎない」と考えるかで、シナリオは大きく異なるのだ。そこでいささか大上段に構えるが、このバーチャルとリアルについて考察してみたいと思うのだ。



●ECは一方で間抜けなコマースでもある

 一応マーケティングなるものを専門としているので、まずはEC(エレクトロニックコマース)なる分野から考えてみたい。色々定義はあるが、まあインターネットのようなものを駆使して、商売をする分野と考えてよいだろう。郵政省は先般の通信白書でこの市場規模を800億円程度(97年度)と発表した。(天下の郵政省にいちゃもんをつけて何ではあるが、個人的にはこの半分位だろうと思っている)。まあ郵政省説を信じるにしても、2000年時点では2000億円弱位。これは同時点の小売り市場規模を150兆円とすると0.1〜2%程度のシェアである。通販市場を2兆5千億とすると7〜8%程度であろう。2030年ならいざしらず、当面は流通構造を激変させるような規模には育ちそうもない。

 筆者はECにおいて悲観論なので悪評が高いのであるが、何故冷ややかであるかというと、ECとは一方で間抜けなコマースでもあるからだ。比較購買は行いにくいし、何よりも自分で選択せねばならない。一方で大量の情報から選択できるというメリットもあるが、それは自分で働かねば買えないといことを意味する。おまけに膨大な階層構造の中を自分でページをめくらない限り目的の商品には出会えない。商品選択情報もまだぼけたテレビ並の解像度である。
これがリアルのショッピングであれば、街の空気を吸う、流行を体験するといった付随的な情報も入手できる。さっき見たリンゴに触発され、みかんを買いたくなるといった購買行動が起こる。こうした多元的な情報処理が可能なリアルなスペースに比べると、サイバースペースは弱点が多いのだ。
 もっとも優れた面もたくさんある。これはこれでまた取り上げるとして、ショッピングという場面1つとってみても、バーチャルな場面は決してリアルを凌駕するような競争力はまだ持っていない。沢山の情報を無意識の内に処理して行うリアルの場面に比べても、まだ無理、無駄の多い間抜けなコマースでさえある。


●バーチャルは人間を幸福にも不幸にもする

 それでは人間の暮らしはどうなのか。確かにネットワーク技術が進展することはある意味で人間の生活の質を高める。例えば在宅勤務が良い例だ。スーツを着なくても良い。満員電車に乗らずともよい。ある意味でこれは生活の規制緩和である。これでもかっては会社勤めをしていたものなのだが、会社とは実に美意識とはかけはなれた場所であった。嫌な上司の顔は眺めなければならない。妙なカレンダーとか、美的でないじゅうたんとか整頓されていないデスクとか、およそ仕事をする空間としてはレベルが低いものであったのだ。これがバーチャルオフィスになれば事情は一変する。自分好みの空間で仕事はできるし、事実今これを書いている机の下には大きな犬が寝ていて、足置きにしている。
 これはこれで素晴らしいが、果たしてこれが人間を幸福にするか・・ということになるとこれまた別問題だ。受け売りであるが、在宅勤務者の多いアメリカでは離婚が激増したという説も有る。家で仕事をしている旦那の後ろから奥さんがのぞき込んで、「あーら、あなたってこの程度の仕事をしているの」と叫んだのだそうだ。かくして夫婦の仲は冷えきり、離婚が相次いだ。日米問わず「会社に行ってこそ立派なお父さん」なのだ。
 始めこそうれしかった在宅勤務もストレスの種になる。これが会社なら玄関を出てしまえば、仕事とは「ハイサヨナラ」だが、家では無限に仕事をしてしまう。自律神経失調症が増えているという話もある。
もっとも悪い話ばかりではない。生活の規制緩和は新たなビジネスを生み出した。ジーンズ、アウトドア用品、ヒゲ用品、ホームオフィスグッズ等の市場は繁盛し、ガーデニングなども恩恵を受けている。


●リアル対バーチャル

 結局人間はリアルとバーチャルを組み合わせて選択していくのだ。例えば幼稚園等の幼児教育はあくまでリアルの場が向いているだろう。一方で資格取得や予備校教育などはバーチャル化が進むだろう。
企業の経営の場面も同様だ。役員会をテレビ会議にすることなどは止めた方がよさそうだ。日米離れたところで開催するならいざしらず、顔を合わせられるなら合わせた方がよい。大体バーチャルでは腹のさぐりあいが出来ない。重要な権力闘争の場面でこれが出来ないのは致命傷である。
 サミットなどもバーチャルには向かない。大体何のために橋本首相はのこのこ出かけていくのかである。サミット国の技術をもってすればバーチャル会議などはいとも簡単に開催できる。これも理由は簡単だ。交渉事は情報量が多い方が勝ちである。バーチャルでは顔色は読めないし、交渉のあやもわからない。一方で「課長級会議」などはバーチャル化しても構わないだろう。
というわけで筆者の結論は次のようなものである。

1. 人はバーチャルのみでは生きられない(当たり前だ)
2. 人間はバーチャルの方向に進化しているわけではない
3. バーチャルはリアルの手段に加わる新たな選択肢で有る(故にビジネスとするにはリアルの手段との徹底的な差別化が必要)
4.バーチャルな手段、場面はリアルなそれに比べると、間抜けな要素が沢山有る
5. ただしバーチャルならではのメリットのある場面も沢山ある(例えばバーチャルの方が省力化に役立つ場面、銀行の窓口利用のようにほとんど楽しくない場面、住宅展示場のようにバーチャルならではの様々なシミュレーションが可能な場面・・・)
6.バーチャルを組み合わせることでビジネスは付加価値化するが、バーチャルのみでは金は取りにくい。

 6は説明が必要だが、筆者の商売などでもレポートをフロッピーで渡したり、あるいはホームページで閲覧してもらったりするだけでは金は取れない。金は会社に乗り込み、顔を突き合わせて気合い、あるいは気迫を込めて取り立てる、あるいは請求書を渡さねばならない。バーチャルではいかにも迫力がない。

 さて、こうした当たり前の考えを持っている人は意外と少ないので、筆者などはほとんど変人扱いである。だがネットワーク社会であるが故に、その影響が無視できないが故に、リアルとバーチャルの意味を突き詰めて考えざるを得ないのだ。


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